「ロード・ゲームス」
アラン・ホールズワース

アラン・ホールズワース:ギター
ジェフ・バーリン:ベース
チャド・ワッカーマン:ドラムス
スペシャルゲスト
ジャック・ブルース:ヴォーカル
ジョー・ターノ、ポール・コーダ、ポール・ウィリアムス
  :バッキングヴォーカル


当時(1983年)、ワン・ステージのギャラが3億円というエドワード・ヴァン・ヘイレンの強烈な売込みで契約に至ったというこのアルバム、アラン・ホールズワースの3枚目のソロアルバムにあたる。
え?3枚目?
そーなのである。
前の2枚「IOU」と「ヴェルベット・ダークネス」は売れてないんでしょうね。ヴェルベット・ダークネスはいいアルバムと思うが、ホールズワース自身はその存在を永遠に忘れたいらしい。ゴングに参加したときにもこのアルバムの曲を提供していたから、仕上がりが不満なんでしょう。
それにこのロード・ゲームスを聞くと、ヴェルベット・ダークネスはホールズワースが目指す音楽からはかなり離れたものだったと思われます。

このアルバムを聞いたギタリストは必ず寝込む。寝込まざるをえないのである。
私はギター弾きではないので難を逃れたが、犠牲者の数は計り知れない。そして寝込んでから1週間後、やっと思いでベッドを離れたギタリストは、
「このアルバムにはシンセサイザー、キーボード類はいっさい使用しておりません」
というアルバムのクレジットに気づき、再び2週間寝込むのである。

ロード・ゲームスはアラン・ホールズワースのギターテクニックと音楽性の集大成と言えるもので、かつアラン・ホールズワースのアルバムの中ではかなり聞きやすい部類に属する。そのせいかこのアルバムは多くの人が耳にするところとなり、アラン・ホールズワースの知名度もぐっとアップした(と言っても限度はあるんですが)。
その結果、なんと初の来日公演となった。アラン・ホールズワースの来日公演など日本代表がワールドカップに出場することよりありえねーと思っていた私は大喜びで聞きに行った。

郵便貯金ホールだったかなあー

異様なコンサートでした。
私はうれしくてのりのりで聞いていたのだが、他の聴衆は身じろぎもしない。演奏が終わるとやんやの拍手。演奏が始まると固唾を呑んで見守り、演奏が終わると再び拍手。ヴォーカルのポール・ウィリアムスがちょっとおびえてましたね。
当日は日本の著名ギタリストがずらりと集まっていたらしい。
この時、ホールズワース以上に観客の度肝を抜いたのがドラムのチャド・ワッカーマン。あの時、いくつだったんだろう?10代だよね。
よれよれのTシャツ着て、どこの子供がステージに紛れ込んだのかと思ったが、開いた口がふさがらないって言うんですか?すんごい演奏でした。
ちなみにチャド・ワッカーマンはオーディションを受けて採用されたとのこと。そのオーディションはスタジオにホールズワースと二人で行き、ホールズワースが弾くギターに合わせてドラムを叩くというものだそうだ。オレにはそんな命知らずなことはできねー

アラン・ホールズワースはその後一定のファンを得たようで、わりと頻繁に日本に来るようになった。

アラン・ホールズワースは私が一番たくさんライヴに行った人ではないかな。
ライヴを見るたびに思うのだけど、彼はテクニシャンというよりは「巨匠」。そんなにしゃかりきになってギターを弾くわけでもないし、ソロだけではなく音楽全体を大事にしている姿勢が伝わってくる。ひじょうにリラックスして聞けるステージ。
ちなみに私が一番すげえ!と思ったギタリストはToToのスティーヴ・ルカサーだったです。

それにしても

ホールズワースは一貫して音楽に対する姿勢を変えない。自分が求める音楽を変えない。リスナーの存在など気にしていないかのようにも見える。
理想とする音を得るために機材も最高のものを使用する。エフェクターはスタジオ機材並みであり、数百万円以上をかけているのである。
レコーディングの際にミックスダウンの費用がなくなったこともあり、ギターを売ってそれに充てたと伝えられている。
あのテクニックがあればもっとお金になる仕事はいくらでも取れるはず。それこそどっかのハードロックバンドかなんかで弾けば、瞬く間にPlayer誌の表紙を飾ることになったろう。でもそういうことはしないんだよね。よくわかんないが、やっぱり偉いと思います。
私にはできないし、しません!

自宅でも勤勉に練習しているのかと思うとそうでもないらしい。かなり以前のインタビューではこんなことを言っていた。
「暇なときはビールを飲んでぶらぶらしているよ。自転車に乗るのが趣味なんだ。」
オフのアラン・ホールズワースに会ってみたいですね。

(2005年7月3日)